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最近考えたこと: 冷笑したくないからアンガジュマンしたい
最近の状況
一時に比べるとやや下火になった気はするものの、まだ冷笑的な態度を取る人・およびそれを称賛する人は多いように感じます。
しかし、自分は冷笑したくないです。されたくも無いけれど。
気を抜くと冷笑しそうになる自分が悲しい。
そこで今回は冷笑について考えてみました。
冷笑とは
まず冷笑の定義を考えなければなりません。
つらいけど考えました。
冷笑とは、Goo 辞書によると、「さげすみ笑うこと、あざ笑うこと」であるようです。
相手を下に置く(さげすむ)態度及び、その相手を笑うことが冷笑であるようです。
下に置く(さげすむ)とは、何について下に置いているのかを考えると、おそらく 知的さ について下に置いているのではないかと思います。
さらに一歩進めると、あらゆる知的さの中でも 地頭の良さ について、自分を相手より優位に置く態度が見られます。
名前を挙げると問題になりそうなので挙げませんが、けっこうな割合の冷笑家は地頭の良さにこだわりがあるように感じます。
ある問題について、経験者や専門家が持った意見に対し、「 素朴 に考えるとこうなるよね」といった感じで否定するのがよくあるパターンです。
素朴・素直・論理的・合理的といった言葉を使うことが多いですが、ようするに個々の事情を無視する・一般化する態度を取ることが多いです。そうすることで 地頭 の良さをアピールできます。
冷笑の問題点
冷笑の問題点の一つ目は、相手を下に置く(さげすむ)態度そのものです。
相手を下に置くことで、まともに取り合わなくなります。
結果的にもともとの問題の解決が放置されます。
二つ目は、地頭の良さが専門知識よりも優れていると考えているが、その根拠に欠けることです。
ある問題について、経験者や専門家が持った意見に対し、地頭による別の解決を持ち出すこと自体は、有意義なことです。
しかしその際、別の意見を否定する形になることがほとんどです。
(専門家が今まで解決できていないから「問題」になっているわけで、ある意味専門家は失敗していることになります。そこに、自分がやれば解決できるという意見を持ち出すことは、専門家のやり方を否定することになります。)
それで新しいやり方を進めて解決していくなら良いのですが、冷笑家は手を動かすことはしません。
つまり、もともとの問題の解決には寄与しないです。
そこでアンガジュマンしたい
アンガジュマンとはコトバンクによると、
〘 名詞 〙 ( [フランス語] engagement ) 現実社会の問題に参加して自分の態度をきめ、その賭けの抵当として自己を拘束すること。自己拘束。社会参加。⇔ デガージュマン
です。デガージュマンというのもあるのですね。知らなかった。
綴りを見ても分かるように、エンゲージメントのフランス語版です。
アンガジュマンは自分の態度を決めて、社会参加をします。よって(立場が定まるので)自己拘束することにもなります。
自己を拘束するのは不自由のように見えますが、主体的な行動を取るためには必要なことです。自由という言葉を分解してみると、主体的という単語はまっさきに出てくるのではないでしょうか。
このように自由や主体性との関係で言われることの多いアンガジュマンですが、冷笑予防にも有効だと思います。
アンガジュマンをしつつ意見を持つことで、相手を下に置くことを避けられます。みんな苦労しているのが分かるからです。
さらに地頭の良さへのこだわりも薄れます。地頭を観測するには、予備知識がゼロである必要があります。アンガジュマンしているなら予備知識もあるので、地頭は普通の経験値にうもれて観測できなくなります。ようするに地頭どころではなくなります。
まとめ
冷笑とアンガジュマンについて考えました。
冷笑は相手を下に置く態度であり、地頭の良さをアピールすることが多いですが、実際には問題解決に寄与しません。
一方でアンガジュマンは、自己を拘束して社会参加することであり、冷笑予防のみならず問題解決に寄与する可能性すらあります。
自分は冷笑していないか? という問いには、どの程度(いま問題にしている問いに)アンガジュマンしているか? という基準で答えられるのではないかと思います。
#冷笑 #アンガジュマン #哲学